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陸自戦車ヒストリー
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【写真・画像】
メディアプレーン映像ライブラリーより

陸上自衛隊戦車ヒストリー

M24 M24チャーフィー(写真)は、昭和27年(1952)、陸上自衛隊が警察予備隊として発足して2年目に導入が開始された一番手の戦車である。当時は世間に遠慮して「特車」という名称であった。この戦車は当時編成中の4個管区隊の各普通科連隊内に編成された戦車中隊に配備された。
 M24は第2次世界大戦後期、1944年の中頃に完成した米国の軽戦車である。昭和25年(1950)まで、米軍が日本で使用していた唯一の戦車で、そのころの日本の道路事情を考慮し、治安対策上は軽戦車で十分と考え、主力のM4中戦車は使わなかった。そして朝鮮戦争が勃発するとM24は朝鮮半島に投入された。しかしM24は北朝鮮軍のT34/85中戦車に比べると力不足であり、米軍はまもなくM4、M26主力戦車を投入する。この時退役したM24が警察予備隊へと回ってきたのである。
 この戦車は主として、歩兵全体の戦闘を支援する兵器との考え方に基づき使用されたが、アメリカ陸軍歩兵師団のM4、M26、M46、M47、M48などの強力な中戦車が装備した火力と戦闘力には遠くおよばないものだった。

M4 昭和29年(1954)、保安隊は陸上自衛隊に名称が変わり、兵力規模も6個管区隊と4個混成団が整備された。それまでの連隊内戦車中隊はひとつにまとめられ、管区隊直属に編成された。これは、戦車兵力をひとつのまとまった機動打撃力として運用するためであった。そしてこの年よりM24に代わる主力戦車としてM4A3E8シャーマン中戦車(写真)が導入され、陸上自衛隊の主力戦車として約200両、1960年代を通じて在籍した。
M41 次いで昭和36年(1961)にM41ウォーカーブルドッグ軽戦車(写真)がアメリカより引き渡された。M24軽戦車の後継として、1950年に完成、1952年に制式化された高い機動力と均整のとれた近代的な西側の標準型軽戦車であった。しかし開発時期と朝鮮戦争が重なり、実用化を急いだため、対NBC防御力や渡河能力に欠け、1960年代半ばには主砲も威力不足となり、1968年までにアメリカ陸軍から全車退役している。陸上自衛隊では、1970年はじめまで在籍した。
61T 昭和30年(1955)、日米共同声明を受け、航空機、艦船、戦車などの主要装備の国産化が促進されることとなり、陸上自衛隊の戦車の転換期を迎える。61式戦車(写真)の登場である。61式戦車の開発は、日米共同声明の2ヶ月後の6月から早くも開始された。当時戦車砲の標準口径だった90ミリ砲を採用、国内において、普通科への直接支援と機甲的運用の双方に使用できるものとされた。さらに効率的な戦略輸送手段として鉄道輸送を重視し、重量35トン、全幅も2.9メートルに押さえるなど、小型化をはかった。昭和36年(1961)制式化され、翌37年(1962)から生産を開始、呼称も今までの「特車」から「戦車」に改められた。しかし61式戦車の配備開始直後から世界のMBTは第2世代に入り、主砲口径も100ミリ以上となった。戦後10年間の技術的空白を埋め、M47クラスの性能を実現したにもかかわらず、急いで実用化された結果、海外からは「M47J/M47の小型改良版」などと言われる結果となった。
74T 74式戦車(写真)の計画は、61式戦車制式採用と同時に基本プランの検討が始まった。昭和43年(1968)に要求性能がまとまり、西側第2世代のMBTとして必要な装備・機構の他に、レーザー照準器と油気圧サスペンションの2点の新技術を導入している。この中の油気圧サスペンションは、第一試作当初、被弾した際に容易に炎上しやすく、また、整備性の問題で世界的にも注目されておらず、砲塔式戦車では74式が世界初の採用であった。このサスペンションにより、74式戦車は傾斜面上でも砲身の水平化や小さな俯角を得るだけで、良好な稜線射撃能力を発揮した。その後の第4次中東戦争の戦訓で、防御面や射撃精度の向上などの特性に注目が集まるようになり、油気圧サスペンションは世界のMBTの主要技術となっていく。車体を前後左右に姿勢変換可能にさせるため、キャタピラ上部支持転輪はなく、片側5組の大きな転輪は74式の特異なデザインを形づくる。61式戦車開発の反省に立ち、第1次全体試作2両、第2次全体試作4両、開発期間10年の歳月をかけた74式は、昭和49年(1974)の9月に仮制式化された。生産は昭和50年(1975)からで、現在までに800両以上が生産され、主力戦車の中核を担っている。
第2世代戦車として最後のMBTとなり、意欲的な傑作として評価される74式戦車も、1980年代に入ると火力不足となってくる。世界は120ミリ滑腔砲を整備する第3世代のMBTに移行していった。
90T 昭和52年(1977)、90式戦車(写真)の開発がスタートした。61・74・90式と見比べてみると、第1世代から第2世代への変化に比べ、第2世代から第3世代への変化は、複合装甲などの戦車技術・装備の著しい進歩を見ることができる。1916年、第1次大戦下のソンム会議で初めて戦車が戦線を突破して以来80年、陸戦兵器の主役として発達してきた戦車。対戦車ミサイル、攻撃ヘリコプターなど天敵とも言える兵器が登場してきたが、その万能性からまだまだ陸の主役としての価値は失われないだろう。
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